正調 十勝馬唄のあしあとについて

 

 北海道の内陸、十勝地方は太平洋に面した日高地方の軽種馬と並んで農耕馬(現在は農用馬)で全国的に有名な駒どころ、本州より厳しい未開発地に夢を求めて、明治十六年十勝開拓巨匠依田勉三氏が晩成社を結社し、先人アイヌ民族等の協合生活様式を学び、原野の開墾に人馬一体で鍬をふるった。十勝は日本を代表する食糧基地で、開拓には言うまでもなく、農耕馬が大切で農家は馬が主役であったが、昭和三十年頃から近代化機械化が進み、トラクターの導入に依り、大型農業と酪農王国と変身して行く中で十勝の開拓歴史は人馬一体で発展してきた。現況ではばんえい乗馬で帯広競馬場を中心に活躍している。

 

 昭和四十年代から民謡会の発意により、十勝馬唄が誕生し北海道の必修歌唱として、のど自慢大会や講習会各種イベント等に取組み今日では北海道の五大民謡に成長する。保存会が昭和五十六年に生まれ、昭和五十七年には十勝川温泉郷に歌碑が建立。昭和五十九年より全国大会が十勝の中心地帯広市で開催され、更に全道各地での講習会、大会前夜祭や馬絵の展示会、啼きまねコンクールと技能委員会の設置、舞踊の振興、歌碑の清掃、寒稽古と、十勝はおかげ様で十勝小唄、十勝馬唄、どさんこ甚句・舟唄と大会を進め、まさしく民謡王国にと管内に三十曲余りの民謡が誕生致しました。この広大な自然と風土に恵まれ磨きのかかった伝統と歌唱旋律のよさが人気を博して正しく楽しく郷土のほこりとして伝承して参りました。しかし、ここ3年は新型コロナ渦の影響から中止延期と厳しい状況では有りますが、管内の景気や人の流れと持ち直しつつあります。心の声高らかに十勝平野の四季を織りなす名曲、十勝馬唄が一日も早く健全に全国に届けたいもので有ります。

令和4年8月  正調 十勝馬唄保存振興会  宗範 九本栄一